お食事処「おかず」

お食事処へようこそ。いつもありがとうございます。本日のメニューは以下となっております。どうぞごゆっくりお楽しみください。

一人だけの担当アイドル

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アイドルマスターでは、好きな子を自分がプロデューサーであるという立ち位置から「担当アイドル」と呼ぶ。

担当は、そのアイドルを担うことを意味している。これは好きとは明確に違う。

好きということ自体に責任は伴わない。ただ好きになることに責任は伴わない。

担当は違う。担当とは担い、当たること。それに責任が伴う。

 

むしろそれが売りになっている点もアイドルマスターにある。アイドルの人気やファンを上昇させるための責任の伴う関係、それがプロデューサーとアイドルに当たる訳だが、コンテンツのある特定の子を好きになるという普遍的なものは他のコンテンツと同じである。

アイドルマスター界隈では、一時に「担当の資格」という言葉が話題に登るが、ある意味では資格というものは有るのかもしれない。

 

「資格」は担当である資格というものとして、高レアリティのアイドルを持っている。イベントの上位称号を持っているなどといったものを大々的に謳われるが、僕が考える担当の資格というものは本質としては、他のコンテンツで当てはめるならば、「好きである資格」と言って間違いないと考える。そう考えた時、そのアイドルを好きである内は誰もが担当であるといえる。明確に資格の基準なんてものは存在しない、言ってしまえば「好きであること」が「担当の資格」であるということと言ってもいいだろう。

好きであることはそのアイドルを好きであることと同時に、そのコンテンツを好きなことも資格のうちである。自分のアイドルは好きだけど、他のアイドルは嫌いだから攻撃批判していいなんていい理論は成立しない。それこそ、プロデューサーであるなら、同じ事務所や他の事務所に関わらず、他のアイドルを批判するプロデューサーがいるか?と言われればいない。秋元康氏が例えば48グループやそれ以外のアイドルグループや個人を批判すれば、世間は秋元康氏を大々的に糾弾するだろう。それと同じ理論である。

 

・担当プロデューサー

 

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僕は本田未央担当プロデューサーである。比較的珍しいと言われるが、担当は副担も推しも合わせて他にいない。つまり、本田未央単担当プロデューサーである。一途なことを凄いと言われることも実際にある。名刺交換の場でも「他に担当はいらっしゃらないんですか?」とよく聞かれるが、僕の名刺には本田未央にしか記されていない。しかし、情けない話だが僕自身これをマイナスに捉えてしまっている。

 

担当という枷

本田未央はご存知の通り、シンデレラガールを目指し続けている。6回、7回と2年間連続2位に輝いている。もちろん担当であるということを差し引いてもこれは凄いことである。ファン層やスターライトステージでの投票比率の変化などを加えた上で、更に6回ではシンデレラガールズの特に人気高い高垣楓と競い合い、安部菜々とその担当Pの見事な戦いの前に屈せず戦った。そのまま2年間も順位を維持し続けていることは、褒められることでもある。

しかし、結局のところまだ本田未央はシンデレラガールに、一番になれてないことは紛れもない事実だ。

代表して発言するようになってしまったら非常に申し訳ないが、この事実は未央担当プロデューサーの中で少なからず枷になっていると僕は考えている。一つの例外もなくと言えるほどハッキリとした根拠は無いが、少なくとも僕の中でその枷は小さくない。

それが僕にとっては「担当」だった。

 

僕は未央だけが好きな訳では無い。特にキュートアイドルの五十嵐響子、クールアイドルの北条加蓮はもっと知りたい、もっと魅力を伝えたいと思うくらいに僕は好きだ。ただ、この2人を「担当」、「副担」ということはどうしても抵抗がある。僕がこの2人を担当してみたいという気持ちはある。もちろん名刺に書きたいし、もっと知ってもっと好きになってもっと話したいと思う。でも担当と呼ぶ時に、自分の引き出しの少なさ、そしてこのアイドルをずっと好きでいられるか。そういった不安。そして、「本田未央を一番にできていないのに、なにもしていないのに他の子に何か出来るほど自分は未央になにかできているのか?」と考えてしまう。

自分にとって担当とは大好きで、唯一無二のものであると考えてしまう自分がいる反面、新しいことや、知らない世界を知りたいと思う自分もいる。

きっと自分のなかで「担当」の資格は簡単でいいと他人には言える。でも、自分の中では「担当」を重く捉えてしまっているのかもしれない。それに気付いたのはごく最近のことで、アイドルマスターと銘を打つこのコンテンツの中で1人のアイドルしか愛せないのは致命的な欠点なのかもしれないと感じたのもその時だった。誰かに「未央より〇〇のほうが可愛い」なんて冗談で言われても、熱く反論してしまうことがある。それくらい僕は本田未央が好きで、自分の中で「自分は本田未央担当」であるという自覚が強い。ただ、その気持ちをもっと軽く考えていいのかもしれない。それを最近周りのPを見ていて思う。

未央を1番にするところ。そこから僕のアイマスは次のステップに行けるのかもしれない。

本田未央を一番星に」

これを未央の総選挙のタイトルにしているが、その一番星に願うことは未央P一人一人によって違う。

その願い事が、なってからそれぞれ変わるとしても。

僕はその一人一人の願いを今束ねてくれた本田未央というアイドルを一生担当し続けていくと思う。

 

 

僕は未央が1番になっても、ずっと未央が好きだし、1番の担当が未央から変わることは無いと思う。

でも、未央を1番に「しなければならない」という重みを減らすことが出来れば、他のアイドルをまた違った見方で見ることが出来る。そう信じてこの記事の締めとしたい。